決勝点への邁進
[ルカ13章]で「救われる人は少ないのでしょうか」(/23節)
と尋ねた人に対し、イエス様は
「入ろうとしても入れない人が多い」(/24節)と答え、
戸口が狭いことをはっきりとさせています。
種まきのたとえ話から、
御言葉を受け入れるのに必要な土壌は判明しました。
まず必要な土壌とは、[ルカ8章15節]でたとえ話の説明において、
[…正しい良い心をもってみことばを聞き、これを保ち、辛抱して実を結ぶ人々]
であるとイエス様は言っています。
昨日分かったように、
- 御言葉を聞くだけならクリスチャンでなくても出来る。
(→歩道の上の種)
- また、御言葉を受け入れるだけの心をもって聞くことは、
教会の出席者ほぼ全員が可能であり、
(→岩の上の種)
- その内実際にクリスチャンとしての生活を始める事が出来る人もいる。
(→いばらの中の種)
- ただし、最後に救われている人は一握り、
クリスチャンとしての生活を辛抱強く続けた人だけ。
(→良い土に植わった種)
つまり、救われるのに重要なポイントは、
限られた時間、刺激的で刹那的な宗教生活を送るのではなく、
御言葉に従った、クリスチャンらしさを
ずっと維持する事が大事なのだと分かります。
[テモテ4章1節]によると、
[信仰を捨てる]人が出てくる、と言っているように、
一度信じても、その信仰を捨てる事はあり得る。
人にそうさせるだけの邪魔立てがあるのは確かです。
ただそれを乗り越えなければ、たどり着けないゴールがある。
それがクリスチャンの目指す「救い」です。
何はともあれ、
ここまでたどり着いた道を歩み続けましょう
/フィリピ人への手紙3章16節