クリスチャンは政治と関われるか


最近は、社会生活と宗教の混合は、割と慎重な問題になっています。
でも今日教会へ行くと、上院議員選に出馬する女性が来ていました。


別の教会ですが、
確かにキャンペーンで教会を訪れる候補者はいます。
でも、私たちが通う教会では今までなかったので、
不思議に思っていたら、牧師が、
「彼女はクリスチャンとして」来ていると紹介し、
その女性も政治の話ではなく、
彼女自身のクリスチャン人生や証など話をされ、
みんなの前で堂々と、神様に歌を捧げました。


彼女は今不利な立場なのですが、今日の来訪はキャンペーンではなく、
彼女がクリスチャンである事をただ伝えていました。


一つの政党がどうとかではなく、
こういう人たちが政治に関わるのが、国にどういう影響を与えるかを思って、
牧師はみんなに紹介したようです。


また牧師は政治について、
「こうなればよい」という望みでなく、
政治を行う人たちについて、彼らが最善を行えるよう、
神様にお願いする、と言っていました。
誰がリーダーであろうとも、
最善の仕事ができるよう、リーダーのために祈るのです。



「政治はこうあるべきだ」とか、
「あの政治家はだめだ」とか、
不平不満が出るのは仕方ないかもしれない。
また、TVで情勢を見て外野から野次るのは簡単な事。


でも神様は今日、牧師と候補者の女性を通して
私たちにこのメッセージを改めて送ってくれました。



大勢の私たちもキリストにおいて一つの体であり、
一人びとり互いに部分なのです。/ローマ12:5
私たちは与えられた恵みに従って、異なった賜物を持っているので、
それが預言の賜物であればその人には信仰に応じて預言をさせ、/:6
奉仕の賜物であれば奉仕をさせ、教授であれば教授させ、/:7
励ましなら人を元気付けさせ、施しなら惜しみなく施しをさせ、
統率力であるなら心を尽くして治めさせ、
慈善なら快くさせるべきです。/:8



私は自分のパート、祈りをする。
それがクリスチャンとしての、政治への関わり方なんだと納得しました。





ところで[ローマ人への手紙12章]は、
生まれ変わった私たちが新たに歩み始め、そのまま維持していく、
クリスチャンとしての生き方について述べています。
今日は一部分を引用しただけですが、
後にもう少しちゃんと触れたいと思います。